神武天皇(じんむてんのう)
誕生 庚午年1月1日(紀元前711年2月13日?)
崩御 神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日?)
在位期間
辛酉年1月1日 - 神武天皇76年3月11日(紀元前660年2月18日? - 紀元前585年4月9日?)
父親 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
母親 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
神武天皇から第9代・開化天皇(かいかてんのう)までは一般に伝承上の天皇と見なされる。
『古事記』、『日本書紀』に記されている「神武東征(じんむとうせい)」の話は史実というよりも日本神話として読むまれる事が多い。
イザナギ ― 天照大神(皇祖神) ― アメノオシホミミ ― ニニギ ― ホオリ ― 彦波瀲武鸕鶿草葺不合命 ― 神武天皇、と連なるとされる。
神武天皇の祖父・ホオリのみこと(火遠理命)は、山幸彦と海幸彦の説話に登場し、一般には山幸彦(やまさちひこ)の名で知られる。
その父は『天孫降臨』神話の主役ニニギノミコトとされている。ニニギノミコトは、『天岩屋』神話で知られる皇祖神・天照大神(あまてらすおおかみ)の孫にあたる。
神武天皇は九州・日向に生まれる。彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと) の四男(または三男)である。生まれながらにして明達で、強い意志を持っていた。15歳のときに皇太子になったとう。
45歳のとき、東に天下を治めるにふさわしい『美き地(よきくに)』をかまえるために、大軍を率いて日向を発った。これが神武東征(じんむとうせい)の始まりである。
皇軍は海路、宇佐や安芸、吉備など立ち寄り滞在したあと難波に到着。生駒山を越えて大和に入ろうとしたがこの地を支配する長髄彦(ながすねひこ)が軍衆を集めて孔舎衛坂で戦いになり、大和入りを果たすことができなかった。この戦いで兄の五瀬命(いつせのみこと)が流れ矢を受けて負傷した。そこで皇軍は再び海に出て、紀伊半島を南に迂回し、ようやく熊野から上陸した。しかし上陸を果たした一行も、土地の神の毒気を受け軍衆は倒れた。この天皇の危機を救ったのが霊剣『布都御魂(ふつのみたま)』と『八咫烏(やたがらす)』である。天照大神(あまてらすおおみかみ)が布都御魂を熊野の住民の高倉下(たかくらじ)に授け、高倉下はこの剣を神武天皇に献上した。剣を手にすると軍衆は起き上がり、進軍を再開した。ところが、大和を目指そうにも険しい山のなかには道もなく、一行は進むことも退くこともできず迷ってしまう。そこで、天照大神は八咫烏を送り教導となした。八咫烏に案内されて、無事大和に入ることができた。その後、大和の土豪を平定し、最後に強敵・長髄彦の軍勢を打ち破った。こうして神武天皇は大和を平定し、畝傍山(うねびやま)の東南の橿原(かしはら)に宮殿(橿原宮)を建て、ここで初代天皇として即位した。

